「看板ドック」誕生秘話① 涙の坦々麺
2015年2月15日、札幌カニ本家本店の看板が落下し、歩道を歩いていた女性が意識不明の重体となりました。
後に裁判が開かれ、この店舗の副店長が業務上過失傷害罪で罰金刑に。
看板業界に衝撃が走り、危機感が高まるなか、快適創造企業レガーロの高倉博社長は「看板で悲しむ人を0にするため」看板の安全基準の策定を志していたのです。
2016年の春、私は快適創造企業レガーロに入社しました。
社長のカバン持ち1週間め、社長は「大学行くぞ」の一言で私をT大学に同行させます。
理工学部建築学科のT教授に、建築学の見地から看板の安全基準の策定に協力していただけないかと依頼をするためです。
志と理念を熱く語る高倉社長に動かされたか、T教授はうなづいてくださいました。
出だしは好調のようでしたが、じつはここが社長にとっても私にとっても試練の始まりでした。
社長の目論見は、建築には建築基準法があって安全基準は細かく定められている、それを看板用にカスタマイズすれば、看板の安全基準ができるのではないか、というものでした。
しかし、看板業の方々に話を聞いても「できたらいいけど、無理じゃない?」の意見が大半。
T教授はご自分の研究優先でこちらには成果をなかなか出してくださらない。システムを構築してもらう予定の会社も「いまのままでは難しいですね」。
窓口になっていた私は、そんな話を聞くにつけ、状況を見るにつけ、ただ落ち込むだけでした。
当時会社のあった三軒茶屋では、飲みの締めには必ず坦々麺の店に行っていました。
おいしくて大好きな店だったのですが、2016年の暮れには、その坦々麺が食べられないほど落ち込んでしまっていたのです。
いっぽう、高倉社長は落ち着いたものでした。
「新事業なんてそんなもんだよ、できなくて当然、できて偶然」
私を励ますためにいってくれた言葉にも元気は出てきません。
中小企業が自社で商品開発に成功するのはたった1割の確率だそうです。
10社トライして1社しか開発できない。
私たちはその9割に入っているのではないか。
考えれば考えるほど、悲観的になりました。
2017年の年明け。
淡々と事態を見守っていたかに見えた社長がついに我慢の限界に達したようでした。
T教授の研究室を訪れ、T大学の産学連携担当者同席のもとで、T教授を理詰めで攻める攻める。
いつも朗らかで人当たりのいい高倉社長がひとたび切れるとこんなふうになるのか、と私は傍で息を飲んでいました。
いつしかT教授がうつむいてしまっていたのもむべなるかな、です。
数日後、T教授から私に電話がありました。
「じつはあれから寝込んだんですよ」
気の毒になるほどでしたが、社長の猛攻は効果絶大だったようです。
ほどなくして、教授からいいものが上がってきて、社長も私も胸を撫でおろしました。
こうして、看板の安全基準のたたき台ができあがり「看板ドック」完成への道のりの最初の一歩を踏み出すことができました。
私が快適創造企業レガーロに入社して、ちょうど一年が経とうとしていた頃のことです。
(つづく)