「看板ドック」誕生秘話② ホワイトナイツ登場
快適創造企業レガーロの目下の「看板商品」である「看板ドック」。
2016年入社の私の4年半の社歴は、まさしく「看板ドック」が生まれて育ち発売され、看板業界を安全第一の業界へとリードするに至る道のりでした。
一社会人として、私自身が成長できたのも「看板ドック」に関わらせていただいたおかげと感謝しています。
前回のブログでは、T大学の理工学部建築学科のT教授に依頼した看板の安全基準のたたき台ができるまでの1年間を書きました。
次はこれを実用化する方策を考えなければなりません。
手探りでがむしゃらに進んでいると、どこからか手が差し伸べられるものです。
私は「看板ドック」の開発過程でその経験を何度もしました。
新陽社経営戦略室長Sさんもそのお一人です。
新陽社さんはJR東日本の駅構内の電光掲示板を作られている会社さんで、快適企業レガーロはJR駅名標のお仕事でお世話になりました。
安全性やメンテナンス性を考慮した看板の作りや検品体制、図面の書き方等のレガーロクオリティは、新陽社さんのお仕事の中で磨かれたものです。
その中でも中心人物だったSさんに「看板ドック」の技術顧問としてお力添えいただけることになったのです。
SさんはT教授のたたき台を詳細に検討し、実用化に向けて過不足のある部分を調整してくださいました。
この数字に対しては、こういう評価をしたらいいよ、と私たちにもわかるように説明もしてくださったのも、とてもありがたいことでした。
高倉社長の「建築の安全基準を看板用にカスタマイズする」という発想が、Sさんのおかげで現実のものとなったのです。
Sさんがいらっしゃらなければ「看板ドック」は商品にはなっていませんでした。
高倉社長の発想もT教授のたたき台も、そのまま机上の空論に終わってしまったことでしょう。
さあ、安全基準の数値は固まりました。
次は、それらを看板からどうやって計測するかです。
どうすれば検査ができるのだろう、なにか機械はあるのだろうか。
「看板ドック」が商品化されたいまとなっては、あまりに手探りな疑問ですよね。
でも、当時の私たちには、それが大いなる謎のような課題でした。
高倉社長はかねてからおつきあいのあったH世田谷区議会議員に相談することを思い立ちました。
世田谷区は「安全な街づくり」を目標に掲げて、道路標識や信号などのインフラを整備していたからです。
H区議会議員なら検査メーカーを知っているのではないだろうか。
謎は自ら解くよりも、答えを知っている人を見つけるほうが早いものです。
高倉社長の直感はまちがっていませんでした。
H区議会議員は、道路標識が犬のおしっこや融雪剤によって腐蝕され、根本から折れてしまうケースをご存じでした。
「掘らずに検査できる機械が確かありましたよ」
それだ!探していたのはその機械だ!となって、紹介していただいたのが「非破壊検査」を実施している会社だったのです。
Sさんの次はHさん。
「看板ドック」のホワイトナイトですね。
女性のホワイトナイトもいらっしゃいます。
女性だからナイトとはいわないでしょうか。
経営革新協会会長のAさんがそのお方。
コーデネイターとして「看板ドック」を最初から支えてくださいました。
「看板ドック」の名付け親でもありますから、ゴッドマザーとお呼びするのがふさわしいかも知れません。
こうして「非破壊検査」と出会った私たちは「看板ドック」の商品化へ向けて、大きな一歩を踏み出しました。
つづきは次回のブログでまた。
2週間後を楽しみにお待ちください。