創業者・代表取締役
快適創造プロデューサー
高倉 博



看板に関係する仕事との出会い。

僕は、特に何かに秀でたところのない、普通の子供でした。
普通すぎて目立つことがないので、同窓会に行くと、「誰だっけ」といった反応をもらいます。
そんな普通の子供でしたが、将来は何かに秀でて社長になろうと思っていました。
その「何か」は、まだそのときはわかりませんでした。


その「何か」がないまま普通に大人になり、アパレル経営者だった父から、
二十歳の時に「会社を継げ」と言われて入社したものの、
自分を押し殺して頑張らないといけないことに耐えかねて、7年後に独立しました。


同業種のアパレルで起業しましたが、不安定要素が多く、
そのころ世の中に普及が始まりつつあったLEDに将来性を感じ、看板用LEDの光源販売に転業しました。



飛び込み営業で大手との取引が決まったものの、
その後、大手取引先の業績悪化のため、売り上げの8割がなくなり、
大きな負債を抱えることになりました。


「目立つために」「かっこよくなるために」と進んだ先には、
仕事もお金もなくなっていく現実があり、残ったのは、たった1社の協力会社だけでした。
毎日が不安で怖くて金策に翻弄されているような自分を、見捨てずに残ってくれたのです。
その時、「目立つため」「かっこよくなるため」「儲けるため」ではなく、
この人たちのために頑張ろうと思えました。


時を同じくして、母が末期癌とわかり、余命3ヶ月と宣告されました。
いつもいつも僕を心配してくれていた母でした。
その母を看取って、「生きていたいのに、生きることができない」ことを目の当たりにし、
五体満足で健康で、課題や悩みがあることはむしろ恵まれていると痛感したのです。
「落ちるところまで落ちた。どうせだめなら、やるだけやってみよう」と考えられるようになり、行動を起こしました。



その行動とは、看板業界の旧態依然とした常識のために困っているお客様を助けることでした。
お客様である店舗開発担当者は開店業務の大変さがあり、
そこへ看板業者が関わるとさらに大変になり不便で不快になり、
その上見えていない“看板に潜む危険”まで背負うことになります。
それを僕たちが取り除き助けることです。
言葉を変えると、不便を便利にする「快適の創造」です。


異業種から参入した自分だからこそ驚いた看板業界の常識。
それは何かというと、図面を見ない(そもそも図面がない)、受発注の記録管理をしない、
製造の品質管理をしない、落下や燃えるリスク・安全性について何の基準もない、
すべてが職人の勘で業務が行われていることです。
ただでさえ忙しい店舗開発担当者が、看板屋を管理しないといけないわけです。
本当におかしいと思いました。
異業種から参入したからこそ気づけたことです。



だから僕が、僕たちが、この「おかしい」を何とかするぞ、と本気で思いました。
そして、看板用のLED光源を販売するだけでなく、
安全基準・製造管理基準を作ってLED看板を製作・設置施工し、
メンテナンスまでやることにしたのです。
それがLED光源販売者からLEDサインメーカーになった理由です。


最終目標がお金儲けだった頃は、たくさんのお金を手にしても満たされませんでしたし、お金がなくなる怖さも味わいました。
つまり、どこにも喜びがなかったのです。
しかし、お客様にとっての快適を考えて動き、喜んでくださったときや、
始めは何もできなかった新人スタッフが成長していくのを感じられたときには、
大きな満足感があり、心からの喜びがありました。



こうして「快適の創造」という理念ができ、僕はブレなくなりました。
「レガーロ」はイタリア語の「贈り物」です。
快適を創造し、お客様への贈り物にしたい。
お客様、協力業者、スタッフ間、全て「相手にとって快適か」という考えのもと行動することが行動規範になりました。
関係者全員を幸せにするということが志になりました。


落ちたり燃えたりする危険のある看板が世の中に増えていくことは、幸せどころか、不幸が増えていくことです。
実際に大怪我をした人もたくさんいます。
またそれによって、看板の所有者である店、企業の長年かけて築いた信用は、一瞬にして崩壊し失墜してしまうのです。
快適を創造し、関係者全員を幸せにするためには、
レガーロ1社が正しい仕事をすればいいのではなく、看板業界そのものを変えなくてはいけません。
必ず変えてみせる。


そして安全な街づくりをする。
それが僕の大義名分です。

看板業界を変える取り組みを始めています。
詳しくは、「看板ドックストーリー」をご覧ください。

看板ドックストーリーを見る


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